1981年、"愚図ケンジ"を中心に"GENYA"を含む 当時5人編成で結成。

 ライブハウスを中心に活動を続け、数年後には地元大阪から東京進出、メジャーデビューのチャンスを幾度も掴むも、

所属事務所との方向性の違いによる衝突からの契約解除や、相次ぐメンバー脱退等に見舞われ、ふたたび地元大阪での不遇の下積み活動からの再起をはかる。

 そして 1988年に前ベーシスト、1990年にドラマーDAISAKUが加入し、ようやく安定した活動になる。

 この頃より、今は無き大阪の老舗ライブハウス「BLOW DOWN」をホームグラウンドとし、関西各地のライブハウスにて精力的な活動を展開。

 さらにはライブハウスでの"待つ活動"だけでは限界を感じ、自ら出向いてゆく"攻めの活動"、つまり、ストリートライブに目をつけ、

大阪城公園でのストリートライブを開始する。

 後に通称「城天(シロテン)」と呼ばれ、東京原宿のホコテンにもあったようにブームとなり、さまざまなバンドが後に続いた。

 しかし、多くのバンドが後に続き「城天(シロテン)」に参加、盛り上がり始めたことにより、近隣、通行人、利用客等から "騒音問題"、"ゴミ問題"、"通路確保問題"等による苦情が殺到することとなり、地元大阪では、ニュースにとり上げられる程の社会問題に発展してしまい、一時は 警察、公園事務局の指示により、禁止となり 追放される事態となったが、れら諸問題を解決するべく "BCG ROCKERS"が先頭となり立ち上がり、各バンドの統制をとり、

ひとつひとつルールを設け、クリアさせてゆき、各当局に交渉を続け、「城天(シロテン)」の再開、定着へこぎつけた。

 現在でも大阪の文化のひとつとして市民権を得て定着した「城天(シロテン)」の基盤や流れをつくってきたは、まぎれもなく、"BCG ROCKERS"の功績である。 

 また 定着した「城天(シロテン)」の大阪城公園のみならず、大阪ミナミのアメリカ村三角公園など、あらゆる場所にて神出鬼没のストリート・ゲリラライブを展開させた。

 そして1991年、ホームグラウンド「BLOW DOWN」にて、1st.ワンマンライブに成功。

 以降、地元大阪ではワンマンライブを中心とした活動となる。 

 それまでの間に自主製作によるオリジナル・カセット(10曲入)を計5本発売。

 1995年には 当時の「BLOW DOWN」マネージャーのプロデュースによる「維新RECORDS」より、1st.アルバム「神風」を発売。

 このアルバム発売当初は、ストリートライブを行っていたアメリカ村三角公園の近くにあった「TOWER RECORDS 心斎橋店」では、週間売り上げベストテンにも入った程の勢いをみせた。 

 この頃よりアルバムのプロモーションをかねて、関東方面へのライブツアーも精力的に展開した。

 ストリート発のシンプル&ストレートなロックンロールは老若男女を問わず支持され、またたくまに当時 関西ナンバー1のロックンロールバンドと呼ばれるようになり、オンステージ、オフステージ共に、数々の伝説を生んでいくこととなった。

 しかし、1996年2月、絶頂期の中、当時ベーシストの脱退と、メンバーそれぞれが"BCG ROCKERS"以外のサウンドへの挑戦をする為、一度解散・・・。

 一時解散後、"愚図ケンジ"、"GENYA"の2人は唯一無二のアコースティック・ユニット"愚図"を結成。

 東京、横浜、大阪を中心にライブ活動を展開。

 "DAISAKU"も、他バンドへの加入、サポート等で活動。

 そして 1999年7月、

 ある事(※"BCG ROCKERS"結成25周年企画エッセイコンテンツ「25年目の真実」参照 )をきっかけに、

ある人との約束を果たす為、極秘レコーディングされていたアルバム「ショットガンライダー」をひっさげ、完全復活する・・・。

 以前よりも一層ソリッドにぜい肉がそぎ落とされたロックンロールは、よりコアなロックンロール・ファンをひきつけ、独自のスピード&スリル感あふれるステージを展開していった。

 そして2002年3月、不本意なカタチでのベーシストの脱退により、長年の4人編成にピリオドを打つが、

Singer:愚図ケンジ、Guitar:GENYA、Drums:DAISAKUの3人による編成の新生"BCG ROCKERS"により即座に活動再開。 

 初のマキシシングル「スープ」をレコーディング、リリース発表。

 3人編成により、さらにシンプルに進化したロックンロールは多くのロックンロールファン、新世代ロッカー、パンクス達から支持され、

 2003年には 日本が誇るロックバンド"ARB"との共演を果たし、"横浜銀蝿"等々、様々なメジャーアーチストとの共演も重ねた。

 そして2004年からは、Guitar&Singer:愚図ケンジ、Bass:GENYA、Drums:DAISAKUという新たな編成での新型"BCG ROCKERS"(最終型)となる。

 2006年には「CLUB WATER」にて結成25周年記念ワンマンライブを成功させ、1990年代にシリーズ化させていた"BCG ROCKERS"企画イベント「Rock'n Roll Fight」も復活させた。 

 さらには、ライブ活動以外でも、バイカーである事が広く認知されていた事から、2007年に公開された日本映画「クローズ ZERO」からのオファーを受け、自マシンと共に出演。

 以降も路上ライブ活動、ライブハウス活動、ライブツアー活動等、精力的に快進撃を続けていたが、

マネージャー兼"維新RECORDS"代表が、ある事件により不在となり、以降 レーベル復興、新譜リリース等のメドが立たず、

2010年1月のスケジュールをもって、解散・引退を決意。

 結成後、28年間にも及ぶロックンロール人生の幕を降ろす・・・。

 現在、"愚図ケンジ"は ロックンロール・バイカーズ・ショップ "ショットガン★ライダーズ"店オーナーとして活動中。

 そして、さらに、

 2019年より、ラジオ番組、FM OH! 851(FM OSAKA) 「第一精工舎 THE FRONTIER OF ROCK'N ROLL」(毎週日曜20:30〜21:00)への出演を機に、ロックンローラー"愚図ケンジ"(ソロ名義)として、9年降りに音楽活動を再始動中・・・。