解散後、間もなくオレはゲンヤと共にアコースティック・ユニット"愚図"を始動させた。
TAISHOは"THE JUNK"というバンドに、ダイサクは"ペレストロイカ"というバンドに、以前からそれぞれが個々に交流のあったバンドに加入し、活動を始めた。
どのバンドも、"BCG ROCKERS"とは全く違うサウンドとスタイルで、やはり それぞれが、「元"BCG ROCKERS"」の看板に負けないように、
"BCG ROCKERS"でやってきた事とは違う世界への挑戦をし、それを凌ごうとしていた。
"愚図"は関東ツアーからという異例の活動スタートだった。
現在でこそ、サポートでピアノを使ったり、パーカッションでボンゴを使ったりするのが定着しているが、
当初は本当に生ギターのみの演奏で、生ギター1本でどこまでの事が表現出来るか・・・という挑戦は、本当にスリリングで、やりがいのあるスタイルで、オレもGENYAもギリギリのところで試行錯誤をくり返し、"愚図"としての活動は本当に充実していて、
"BCG ROCKERS"を解散した事に、まったく後悔無くやれていた。
ちょうどこの頃、日本のメジャーのロックシーンでは、'80年代初頭にオレ達がバンドを始めた頃によく聴いていて、影響も受けた日本の大御所ロックバンドがいくつか、解散してしまっていたのを、復活や再結成をさせて動き出した。
しかし、それはどれもオレ達の期待を裏切るもので、オレ達がいちリスナーとしてシビレた頃のロックンロールではまったく無く、
すっかり失速してしまっていたし、歳をとった分、音楽性も落ち着いた方向に変わってしまっていた。
オレは、昔好きだったアーチスト達に「カッコ悪いな・・・、再結成なんてしなきゃいいのに・・・、カッコ良く終わったまま、伝説でいてくれればいいのに・・・」と正直、強く思った。
そして自分に置き換え、
「オレはカッコ悪い再結成なんて、絶対しない。 過去のものは過去のもの・・・"愚図"が"BCG ROCKERS"をぶっちぎってやるよ・・・」と固く思った。
現に、こんなエピソードがあった・・・
それぞれが別々の活動をし始めて1年余りたった頃だったろうか・・・、
「もう一度やりたい・・・」と
遠回しではあったけれども、TAISHOから打診を受けた事があった。
解散以降、別のバンドで頑張ってはいたが、どうも思うようにいかず、自分達のやってきた"BCG ROCKERS"というバンドの「凄さ」みたいなものを再認識させられたようだった。
しかし、オレは断った。
「オレは今"愚図"ですごくいい感じでやれてるし、再結成はありえないし、したくない・・・。もう1回やるとしたら、皆がもっともっと歳くって、それぞれが自分の"軸"でしっかりやれてて、皆が"久しぶりにロックンロールやってみっか〜"みたいになってからやな・・・」みたいな事を言った。
しかし、TAISHOとはバイクなどでもプライベートではツルんでいたし、ベーシストとしても信頼していたので、この出来事をきっかけに、時々、"愚図"にサポートで参加してもらったりした。
そして、Tさんとヨーコさんは・・・・。毎週行っていたストリートライブが、"BCG ROCKERS"の解散と共に無くなったので、やはり、それまでのように顔を見れる機会は減ってしまった。
が、すっかり関東メインの活動になってしまっていた"愚図"で時折行う大阪でのライブには来てくれていた。
そして、TAISHOやダイサクがサポートなどで手伝いに来ていて、元メンバーが、現場で一緒にいる時などは、
本当に嬉しそうに見ておられたのを覚えている。
「あぁ〜、この人は本当に今でも"BCG ROCKERS"と、そのメンバーが大好きなんだな〜・・・」と幾度となく感じていた。