オレ達の十字架

 ヨーコさんに、もう1度"BCG ROCKERS"を聴いてもらえるよ、と知らせる為の電話が、

 皮肉にも訃報を知る電話になってしまった。

 

 オレはすぐにTさんに電話をした。

 "BCG ROCKERS"の復活が間に合わなかった事と、ヨーコさんがいなくなってしまっていた事を知らなかった自分達への腹立たしさが、「何か変わった事があったら、すぐに連絡をくれるように約束してたのに・・・」と、そんな思いに拍車をかけていた。

 「どういう事?、なんで連絡くれへんかったんですか・・・!!。オレら連絡無いうちは大丈夫やって・・・もう1回ヨーコさんに"BCG ROCKERS"聴かせようって動いてたのに・・・」。

 ヨーコさんがいなくなってしまった悲しみから、気持ちに余裕の無くなってしまっていた大馬鹿野郎のオレは、Tさんを責めるような言葉をぶつけてしまっていた・・・。

 ずっとヨーコさんに寄り添っておられたTさんの方が、オレ達なんかより、ずっとずっと辛かっただろうに・・・。

 オレ達に連絡が無かったのも、きっと何か事情があったんだろうに・・・。

 ちょっと冷静に考えればわかるような事なのに、オレは本当に大馬鹿野郎だ。

 ヨーコさん本人は気づいていて知らないふりをしていたのかもしれないが、周りは結局最後の最後まで、癌(がん)の再発を本人に告知せず、別の治る病気だという事にしていたので、容態が変化したところで、オレ達に来られたら勘づかれてしまうので、連絡できなかった事。

 

 そして、娘さんも言っておられた事だが、ヨーコさんは大ファンだったので、ヨーコさんのオレ達に対する思いは知っているが、

オレ達の立場からすれば、大勢いるファンの中の1人で、亡くなった事を知らせる連絡を入れるのも、かえって迷惑じゃないかと思い、連絡を出来ないでいた事を知った。

 オレの心無い責める言葉の数々を、黙って受け止めてくれていたTさんだった。

 しかし、いたたまれなくなったTさんが、少し震えるような低い声で一言だけポロッとこぼした。

 それは本当に、ついポロッと出てしまったという感じだった。

 それはオレ達が一生背負うべき十字架となる言葉だった。

 

 「自分らのせいでもあるんやで・・・」。

 オレは一瞬で打ちのめされた・・・。

 そうなんだ。その通りなんだ。 

 オレに連絡をくれなかったTさんを責める資格なんてまったく無いんだ。

 1度は癌(がん)を克服されたヨーコさん・・・、

 次に再発した時はもうダメだと言われていたヨーコさん・・・、

 再発しない為に一番大事な事は、精神的な安定。

 それは楽しいと思える事をする事、悩んだりストレスをためたり、精神的なダメージが一番の「毒」だと言われていたヨーコさん・・・、

 再発のリスクととなり合わせの日々の中で"BCG ROCKERS"という特効薬と出会い、それまでを知る周りの人が驚くほどの健康回復と安定をみせていたヨーコさん・・・、

 "BCG ROCKERS"を心の糧(かて)、人生の糧(かて)にしてくれて、元気に笑ってくれていたヨーコさん・・・。

 オレ達は、そのヨーコさんから"BCG ROCKERS"を 自分達のつまらない意地とエゴで取り上げてしまったんだ。

 オレ達の前ではいつも笑ってくれていたヨーコさん。

 けど、Tさんいわく、"BCG ROCKERS"解散以降のヨーコさんはすっかりふさぎ込んでしまい、見ていられなかったという。

 そして医者から言われていた通り、精神的なダメージは体調を崩させる日を増やしていく事となり、

 次第にヨーコさんの身体をむしばんでいった。

 ヨーコさんの訃報を知り、Tさんとの連絡をとった後すぐに、メンバー全員でヨーコさん亡き後、娘さん2人で住んでおられるヨーコさんの家のお仏壇に"BCG ROCKERS"の新譜を供えさせてもらいに行った。

 そこには久しぶりに見るあのやさしいヨーコさんの笑顔の写真の数々が飾られてあった。 

 そしてオレ達は娘さん達にお願いして、それらの写真を分けてもらう事にした。

 その写真は小さいサイズにして劣化しないようにラミネートコーティングし、お守りと一緒にウォレット(財布)の中に入れ、今も常に持ち歩いている。

 そして ステージに上がる寸前、いつも、一瞬目を閉じ、

「ヨーコさん、聴いててよー」

と心の中で願いをこめてからステージに上がっている。

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